本物の手づくり麩を提供し続ける名店 創業文化年間 麩太

京名物百味會同人

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麩太の沿革・其の二

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6. 昭和前期

皇太后-貞明皇后=昭和天皇母后-陛下ならびに宮様方ご入洛の砌(みぎり)には度々のお買い上げを賜り、東京の宮城へも生麩を調進するべくご下命のところ、四代太兵衛は遠隔地運搬による不測の事態を鑑み、当舗伝来の製法を宮内省大膳寮へ寄託することを決意し、主厨長秋山徳蔵氏引率の職員各位に、累代相伝の製麩工程の一切を開示した。その後稍あって、褒賞として白羽二重地一疋と「三ッ重ねの木盃」を拝領した。
同時期、販路を百貨店中心へと転換、東京・大坂・名古屋などの国内各地はもとより、大連・京城(ソウル)・台北・新京(現長春)などへも製品を出荷するという活況を呈した。
間もなく世相を戦雲が覆い、製麩工程の副産物を利用した代用食や軍需用の焼麩を製造するなど、物資統制等の国策に沿った事業形態を取ることを余儀なくされていた矢先、昭和十六(1941)年四月に不慮の出火のため、店舗/居宅を全焼するという悲運に見舞われ、少なからぬ什物や文献が灰燼に帰した。

三ッ重ねの木盃

7. 戦中・戦後

同年、往古の大内裏/神泉苑、近世の聚楽第/二条城に通じる清冽な水脈に恵まれ、貨物駅として京都の物流拠点の一つでもあり、原材料の安定確保が期待された国鉄(現JR)二条駅東側の現在地へと製造拠点を移転した。太平洋戦争開戦後しばらくは辛うじて麩業を継続出来たが、事業継承者以下主たる従業員が応召した状態に加え、戦局の悪化に伴う物資統制強化や企業合同政策等のため、事実上の休業を余儀なくされた。
戦後は、シベリヤに抑留された当主が昭和24(1949)年に復員帰国するまでは、留守居の内儀/親族らの協力の下、戦前・戦中の事業実績により、一定量の配給割り当てを確保出来た原材料を用い、漸く再興の目途の立った麩業の傍ら、焼釜でパンや洋菓子・煎餅等を焼き、時には有平糖をも製造するなどして急場を凌いだ。

8. 今日まで

六代当主 六代当主(1911~2002)がシベリヤより復員帰国すると稍あって、捲土重来の意気込みで、悲願である家業の再興に乗り出し、粉骨砕身の努力により、伝来の製麩技法の復興と戦前からの得意先の回復、そして新たな販路の開拓に取り組んだ。刻苦の甲斐あって業績も次第に向上し、戦後社会の復興と経済成長とにつれて、全国各地の百貨店で開催され始めた京都物産展にも率先して参加し、好評を博した七代当主(1939~2005)らによる餡入笹巻麩の実演販売等を通じ、「麩太の京麩」の令名を広めることとなった。近年も上記京都物産展等の催事はもとより、各地の主要百貨店・高級スーパーマーケットへも製品を出荷している。

京都のれん会章賞状 現在、累代相続され続けた名跡の中断を惜しんだ八代当主(1968~)が、平成十八(2006)年八月、「太兵衛」を襲名/改名し、相伝の製法と伝統の風味の維持とに加え、往年の名代商品の改良/復興や新商品開発にも取り組んでいる。

平成庚寅立秋 枩蘖之識

京生麩の製造風景(昭和30年)

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